l_n_m’s diary

よわい電気系の日記(本当にただの日記)

将軍様はお年頃メモ-一日三食?-

時は享保

言わずとしれた江都時代。
さてさて、冒頭……と言うには少し先かもしれないけれど、3人で朝ごはんを食べるシーン。
「一汁一菜が江都の定番メニュー」という発言がありました。
さて、その後お昼ご飯は外で、と言われます。
ここで疑問。
「外食産業が当時あったの? マジで?」
もうひとつ。
「そもそもその時代には一日三食だったの?」
で、少し調べてみた。

一日三食は江戸時代から

serai.jp
このサイトを見つけたところでおしまい。全部答えが載ってた。
大火からの復興に合わせて流通が活性化、肉体労働する人達向けにお昼の外食産業が始まり、三食が一般的になったと。
で、これが享保より10年程度前のお話。享保が舞台なので当然三食が少なくとも江都では広まった後ですね。

当時の外食

で、当然の疑問として当時の食文化に興味が湧くわけで。
これはこちらのサイトが詳しい感じ。
江戸の外食文化|「江戸外食文化の全体像」|日本食文化の醤油を知る
うなぎ、寿司、うどん、そば、天ぷら……美味しそう。
でも、これ享保の頃にあったとは書いてないですね。欲しい情報はそこじゃないんだ。

というわけでこっち。
ameblo.jp
人のブログだけどよくまとまってるっぽい。
喫茶が広まり、外食もどんどん発展して店を構えるようになったと。
前の情報と合わせると、当時の昼食は割と簡単なものだったっぽい?
喫茶がお昼みたいなものっぽいし。

で、こんな本もあったり。
books.google.co.jp
当時の蕎麦は軽食の代名詞だったのかも。菓子屋が作ってたくらいだし。
なんだか蕎麦食べたくなってきたな。

たまたま見つけたこんなお店情報も。
ちょっと行ってみようかね。そんなに遠くなさそう。
『1718年享保3年創業で徳川吉宗が治世の時代から300年愛され続ける江戸の猪鍋店のお得なランチ!(東京都墨田区両国)』by さすらいの旅人・全国各地孤独のグルメ : 山くじら すき焼 ももんじや - 両国/すき焼き [食べログ]

歴史に疎すぎる

ちゃんと歴史を学んだ人だったら常識だったのだろうか……?
小学校のレベルで歴史には躓いていたので、僕には何も分かりません。
歴史モノのゲームをやって初めて興味を持つんだから何を今更と怒られそうだ。
中学生の頃にそういうゲームやってたら違ったのかも? 先生の教え方が悪かったとは別に思わないけど、なんの印象も覚えてない時点で歴史に興味を持たせることには失敗してますね。当時は数学と理科、英語が楽しかった。

さてさて、初めての歴史モノ、気になったところいっぱい調べていきましょうか。
次は何を調べるのやら。