l_n_m’s diary

よわい電気系の日記(本当にただの日記)

あの日の欠片

こんなものを読んだ

totemo-johin.hatenablog.com
ちょっとここいらで私も我が身の振り返りでもしようかな、と思いまして。
自分がいつか読めればよいと思うままに書いていましたが、前述の日記の彼を見習って話の流れくらいは意識した方がいいのでしょうね。とはいえ何か書きたいテーマがあるわけでもなく思いつきを書き殴るだけなので、やっぱり話の流れなんてありません。

我が身

大学生活の終わり

絶対に特定されまい、とこれまで「電気系」としか書いていませんでしたが、ぶっちゃけると今修士過程の2年です。どこかの日記に書いていたような気もするけど。修論締切までもう数えるくらいしか日が無いですね。おおやばいやばい。
指導教員・研究室の方々には恵まれており、悪くない関係を築きつつ楽しくやっております。
留年はしていないので、先述の日記の彼とは同じ年に大学に入学したことになりますね。同じ年にそれぞれがそれぞれの大学に入学し、思い悩みながらもそれぞれの人生を歩んでいるのだなと思えば親近感が湧いてきます。まぁ、おそらく彼がこの日記に辿り着くことも無いでしょうし、あちらにとって私はいっぱいいる読者の一人に過ぎないのだ、私に気付くこともないのだと思うと複雑ですね。

大学でやってきたこと

  • ゲーム
  • 旅行
  • 地獄のような勉強と課題
  • 雑用係

なんだこれは。もう少しデカいことをやっていなかったかなと焦ってみても何も出てこない。とはいえそれが私なので諦めます。雑多になって話の流れもへったくれも無くなりそうだけど、それぞれ細かく見ていこうかな。

ゲーム

小学校時代にはそこそこゲームもしていましたが、中学は部活(卓球部でした。クラブにも週6で通ってました)に打ち込んだせいでだいぶゲーム量は落ち、思い返してみても大した数やっていません。マナケミアというゲームに非常にハマっていたのは覚えています。それを思えばゲーム量は少なかったものの、いいゲームをやっていたな、というのが正直な感想です。TOGやTOAなんかもこの頃だっけ。
高校からはjubeatという音ゲーに友達と一緒にハマり、ゲーセンに毎週のように行っていました。田舎が故に通学路近くに店が無く、片道徒歩30分くらいかけてラウンドワンで遊んでいたのをよく覚えています。家庭用ゲームをあまりやらなくなり、アニメも見る時間が無く(部活終わって家に帰ると20時でした。朝は6時起き即出発なので早く寝ないとくたばります)オタクながらオタクらしくない学生生活でした。
その反動か、大学に入ってからはほぼ毎日下北沢のアドアーズで遊んでいました。VITAも買い、18禁なゲームも買い、BMSも始め、ゲーム漬けと言ってよかったでしょう。凄く楽しかったです。
ここ数年は音ゲーもそこそこに色々なゲームに手を出し、これはこれで充実したゲームライフをエンジョイしています。LoLも金帯にはなりましたし、オンゲキやウニも一応虹になりました。ランカーとかには程遠くエンジョイ勢の枠には留まりますが、友人の間ではそこそこ上手いのでそこそこ満足です。RPGも東亰ザナドゥやら閃の軌跡やらアトリエやらをやり、ごく最近ではぷよぷよを友達と一緒に始め、steamやDLSiteのゲームも買い漁り、とても充実しています。

旅行

大学時代には友達とロシアに行きました。トラブルも多々あり(起こし、とも言いますね)、万事順調とは行かなかったものの楽しく行けました。これだけで記事ひとつ分になるのであまり詳しくは書かないことにします。
マジキチウォーキングなどと称し、歩きだけで旅行したこともありました。これも色々あります。春に最終回を行う予定なので、もし機会があればそのときに詳しく書きましょう。
行脚旅行もしました。青春18きっぷを買い、ただただ西に向かって目的地も無く各地のゲーセンを回っていく。とても楽しかった。もともと一人は好きなので(友達と遊ぶのも好きですよ!)、その場その場の思いつきで目的地を決め、適当なものを食べ、適当な寝床に泊まり、ゲーセンや観光地を巡る。自由そのものでした。東京からはるばる九州まで行きました。九州に実家がある友達に声をかけたら数日泊めてもらえました。身勝手なことをしたような気もしますが、反省よりは感謝を。そういえば広島では大学の友達がちょうど旅行に来ていて、駅前のゲーセンで一緒に遊びましたね。一人も悪くないとか言いながらお前色々な人に会ってるじゃねぇかとツッコミが入りそうです。でも人生ってそんなものじゃないですか。一人で生きていきながら偶然会った人と仲良くなって、また別の機会に出会ったときにわいわい話して、そしてまたそれぞれの人生に戻っていく。少し寂しい言い方な気もしますけどね。
大学院の2年目(というか今年じゃん)には富士山に登りました。マジキチウォーキングのメンツの一人と「平成最後になんか記念になることしようぜ!」という流れです。超寒かった。けど登山が実は大好きなので良い思い出になりました。付き合ってくれてありがとうな。

地獄のような課題と勉強

さてこいつがだいぶ問題でした。奇しくも先述の日記の彼と同じくB2の冬は文字通り地獄のような日々で、週20コマ以上をカリカリカリカリ勉強していました。というのは半分嘘です。カリカリ勉強なんかしていません。単位がなんとかなる程度に勉強してゲーセン行ってました。というか出席して話の大枠を頭に入れるだけで20個超えのコマは私にとって非常に重く、精神がだいぶ怪しくなっていたので息抜きのゲーセンが必須だったからです。要するにあまりの物量に嫌気が差したわけですね。
B3の夏学期も変わらずそんな物量で、相変わらずやる気も出ず、留年スレスレの成績でなんとか誤魔化しました。プログラミングが苦手で数学が得意な友人がたまたまいたので、「プログラミング教えるから数学教えてくれ!」なんて言ったこともありました。まぁ私なんかよりずっとプログラミング上級者な人と彼は友達だったので、彼にしてみれば付き合う意味は殆ど無かったんですよね。申し訳なさしかねぇ。
それ以降、コマ数が落ち着いてからも失ったやる気が帰ってくることは無く、今の今まで適当にやっています。もっと打ち込んでいれば違う道もあったのでしょうが、これはこれで自分に合っていると思うので後悔はしていません。

雑用係

こんなこと書く必要ある? タイトルだけではそう思います。しかしこれが僕の大学の半分程度を占めているのが事実。書かないわけには参りません。

まず大学生生活前半、大学の学校祭委員会に入っていました。担当項目ごとに部局分けされており、私はごみ処理をメインに扱う部局にいました。さて、学校祭に携わる人のうちどれほどがごみについて真剣に考えているでしょうか。模擬店をやる人がどれほどいて、来場者がどれほどいて、その人達がどの程度ごみに関心を持っているでしょうか。おそらくお察しの通りです。当日は一日中肉体労働をしながら罵声と嫌がらせを受け続け、それまでの準備や計画段階でも窓際感溢れる扱いでした。まぁそれはそうです。委員会にはもっと大切なことありますもんね、大学との交渉や治安の維持とかそういう運営に致命的に関わるやつが。来場者の大半はお客様気分ですもんね、ごみの分別に付き合うのなんか面倒だしスタッフがやれって怒るのも無理ありませんよね。こっちは金なんか貰ってねぇしあんたは客じゃないんだがな。肉体労働している人はこんなにも軽々しく見られるのだな、という発見はいっそ面白くもありました。
さて部局のトップなどではありませんでしたが、色々と責任のあることも担当したために2年は頑張りました。2年目の後半はもう燃え尽きた蝋燭のようでしたね。
大学生生活後半、つまり3・4年生ではその委員会には表向きは文字通り一切関わらないようにしました。まぁこれにも裏話があり、窓際部署らしい「人手不足」という問題が常に付きまとうため、委員会に残ることを決めた友人複数名に「昔一緒にやってた仲間だろ、手伝ってくれ」と頼まれてしまいました。結局当日だけとはいえ肉体労働(+罵声と嫌がらせを受け止める無賃労働)に付き合いました。内心どんな気持ちでいたのかは推して知るべし、というやつです。

終始嫌々やっている感ありますね。実際嫌でした。なんで委員会に入ったのでしょうか。答えは、「好き放題するやつらが嫌いだから」です。委員になればそういう輩を逆らえない権力を以て注意できます。ちゃんと断っておくと、楽しんでいるところに水を差す気はありません。他の人に迷惑をかけるほどに暴れている人を注意し、治安を維持すること、それが私のやりたいことでした。来場者を楽しませるなどという目標は一切無かったという点で、他の委員とは色々違っていたと思います(委員としては楽しませることも義務の一つですから、体裁は取り繕っていました)。結局その体裁が邪魔をしてあまり強く出ることができず、当初の目的は十分には果たせずに終わってしまったわけですが。
とはいえ、そういう問題の解決のために委員会に入り、一応そのために尽力した、という努力は自分で評価します。終わってみれば委員会でやったことはそれなりにあるので、役に立たない努力で無を為したわけでもありませんし。

大学院生活、ここでも雑用です。
大学も大学院も同じ大学なので相変わらずお祭りのときには(今度は後輩から!)声がかかりましたが、流石にシフトは1日数時間程度で許してもらい、いろいろ思うものの苦痛は無い程度で済みました。本題はそちらではありません。
研究室です。
研究室もそこそこ歴史があり、古い備品も数多くあります。最近は古くなったサーバのメンテナンスと新しいサーバへの移行作業を行っています。最近1年半くらいは。
そう、大学院生生活の大半はサーバ周りの作業です。もう長年動いていていい加減新しくしないといけない、というものが次から次へと出てきて大変です。ずっと自分がメンテナンスできるならメモ書きも簡単に短くていいのですが、サーバ知識の無い人がメンテナンスできるように文書を残しておく必要もあります。どうでもいいことにいちいち時間を取られ、研究にあまり打ち込めません。あまり研究にやる気もありませんけどね(怒られそう)。
メンテナンスなんて簡単だ、それで研究を疎かにするなど甘えだ、という声が聞こえます。幻聴かもしれませんが。しかし、一切の知識が無いにも関わらず、研究室の誰もやりたがらないサーバの管理を任せられ(厳密には任せられたわけではなく、サーバに問題が起きていると研究室ミーティングで喚き散らしたり勝手に直したりしているうちに教授・准教授・秘書含む全員から管理者として扱われるようになっただけです。今では管理者としての自覚を持って作業しています)、正直なところ辟易せずにはいられませんでした。「研究」が私の機嫌を損ねることをしたわけではありませんが、研究に向けるやる気もどこかに消えてしまいました。
結局、修士論文提出まで日が迫っている中、文字通り何もやっていない私は未だにやる気を失っています。ヤバいですね。就職決まっているのがまた問題をややこしくしています。就職に失敗していれば何も迷わずに留年・休学ルートだったものを。
こんな愚痴を読んで気分を害し私の文の粗探しを始めた方や、物事の正当性をちゃんと考える方、サーバを触ったことのある人ならツッコミを入れたくて仕方ないと思います。「いやお前周りに相談しろよ」「そんなに時間かかるのおかしいだろ」などなど。
相談できなかった理由として、先述の日記の彼は「申し訳無さ」や「プライド(件の日記の次の記事で触れています)」から相談や救援要請ができなかったと述べていましたが、私の場合はぶっちゃけ「人を信用していないから」です。私自身サーバの知識が無く、苦労しながらサーバのメンテナンスを行っていました。つまり、「同じ授業過程を経てきた人は基本的にサーバの知識が無い」「よって助けを求めても分からないと言われるだけだ」というわけです。尤も、家でサーバを立てていた人はいたのかもしれませんし、いなかったとしても相談くらい誰にしても良かったのでしょう。結局の所長年使われてきていてどんな設定がされているのかも分からないサーバを弄りたがる物好きもおらず、乗ってくれるかも分からない相談をするより自力解決の方が早いと判断した私は一人で作業をしていました。そういうところやぞ、と言われそうです。返す言葉もありません。
時間がかかった理由として、私の知識不足も勿論ながら、やる気が無くなって遊んでいたのが結構大きなところです。平日昼間に行くゲーセンは最高ですね。待ちもいないので好きなだけ遊べます。結果虹レです。オンゲキ15.81ってなかなかじゃないですか、確か理論値15.92の中で15.81なので結構上手いと思います。
更に問題なのが、この生活は非常に居心地がいいということです。研究もせずに遊び呆け、遊び疲れて気が向いたら大学に行ってサーバを弄ると感謝される。やっていることはクソ野郎なのにも関わらず、真面目に研究している学生よりも働き者のように見えかねません。おそらく秘書さんなんかにしてみれば「良い学生」に見えていることでしょう。余計にクソ野郎です。
ちょっと話の収集がつきませんが、雑用係の項目に書くことはこんなところでしょう。

あったかもしれない世界

我が身の振り返りはさっきの通りですが、もしこうしていたら、という思いは尽きません。
真面目に研究していれば国際学会もあり得たでしょうし、複数テーマで面白い発見もできそうでした。研究に対してやる気を失っている今、そのことを惜しいとは感じませんが。「研究」に対する社会的な責任も知ったことではありません。これだけ研究者を冷遇し、研究力のある教授・准教授などに講義や管理やらの雑用を押し付けている国に対してお返しをするつもりは毛頭ありませんので。そういえば、そんなお国への意趣返しっぽい話ですが、研究に真面目に取り組んでいる学生は私の所属する研究室にもおり、そんな真面目な彼らに雑用を押し付けずに研究に打ち込んでもらっている、という点は誇りにも思っています。
しかし、真面目に研究をしていたらこれほど遊べなかっただろうなと思えば、我が人生これでよし、とも思うわけで。この世界線に分岐したこともひとつの幸せでしょう。真面目な方々にはボロクソに言われそうですけどね。

おしまい

さて、ざっと振り返って修士2年の冬の所感はこんなところです。本当に取り留めの無いことになったな。ただ、いつか未来に今を思い返すなら、こんな断片があれば十分でしょう。この断片から今の思いを振り返ることができるなら、何かを思い出せるなら、それでいい。
懺悔するために書いているわけでもなければ、誰かを非難したいわけでもありません。ただただ、思ったことを記し、いつか遠い日に見返して懐かしみたい、それだけのために書きました。例の日記に触発された部分は大きいので、そういう意味では感謝です。
彼は凄く思い悩んでいたのに対し、私の自分語りは非常にあっさりとしていて、不満を漏らしながらも悲壮感はありませんね。「ゲームをして楽しく過ごせればそれでよい」とずっとずっと昔、下のきょうだいを亡くしたときに誓って以来、あまり人生について真剣に悩んでいないからでしょう。勿論その時々で悩むことはありますが、「最悪行方をくらましてどこかで生活保護でも受けながらひっそり生きればいいや」という最強のセーフガードが出てくるので私はくたばりません。私は最強です。
彼が思い悩んで「そう」いうことも考えたと書いていましたが、もし伝えられるなら、このセーフガードは強いぞ、ということを伝えたいです。その願いが叶うかといえば非常に怪しいですけど。

彼に伝わるかは分からなくても、私相手なら絶対に伝わる。いつか私が思い悩んでいたら、どうかこの日記を思い出して欲しい。セーフガードの存在を思い出し、あの本当に自堕落な学生生活を思い出し、「あの頃よりは真面目に頑張ってるわ」と思って欲しい。或いはもっとクズっぽい生活していたとしても、「ゲームして楽しく日々を過ごしてる」と誇って欲しい。別に仕事を辞めていても、孤独でも、行方知れずでも構わない。あの子の分まで人生を楽しむことが、私の人生の約束なんだ。

注意

なんだかんだ特定は怖いので、しれっと誤魔化したり嘘ついたりしてます。どこか分かるかしら。分かったら困る。