l_n_m’s diary

よわい電気系の日記(本当にただの日記)

さよならの朝に約束の花をかざろう、を語る?

好きなものを語れ

こんな文章を見た。
note.mu
ならば私もやってやろう、とこの日記を書く。
と思ったが結局見たことの無い人に勧めるような文章にはなっていない気がする。まあいいや。

さよならの朝に約束の花をかざろう

愛に飢えたやつは今すぐ見ろ。この映画は優しさと愛の塊だ。決して、恋愛ストーリーではない。しかし、これはひとつの愛の形だ。
昔、小さな頃にペットを飼ったことはあるか。もしあるなら、その生命に対してどんな思いを、責任を感じただろうか。
それを100倍、いや1000倍にしたものをこの映画は叩きつけてくる。
故郷を失い1人彷徨う中、少女は1人の赤子を拾う。2人はどんな人生を歩んでいくのか。互いに対してどんな思いを胸に抱いて生きるのか。

ネタバレありで振り返る

以下は映画見てない人は見ないでくれ。本当に。1回しかない「初見」をこんなところで台無しにしないでくれ。映画見ろ。1500円程度だから。
まあ日記だ、人が読むことなんか知るか。だらだら書くぞ。

エリアルとの出会い

時系列順に思い返すことにする。
故郷が燃やされる様を見た後、流れる川の前で、故郷にいるはずの、すなわち酷い目に合わされているに違いないレイリアの言葉を想起する。
空を飛ぶってどんな気持ちだったんだろう、今ならもう失うものもない。弱虫なんて言われちゃったし意趣返しがてら飛び込んで終わりにしちゃおうかな。
そんな絶望を目に浮かべているところに、偶然聞こえてきた赤子の泣き声に惹きつけられたわけだ。
自分を思いとどまらせてくれた声の主だよ? 放っておけるわけないじゃない。君が助けてくれた命、君と一緒に歩んでいくよ。

名付け

初めて見たときには聞き逃してしまい、2回目に見たときにちゃんと理解した。元々つけようとしていた名前は「レイリア」。もうこの時点で、クリム含めレイリア達は全員生きていないだろうと思っていることが伺える。死んだと思われた人が実は生きていた、というのは物語ではよくあるけれど、当人がその場面でどう感じていたのか改めて思いを馳せて欲しい。
指摘されてエリアルと言い直しているけど、忘れられない友達の影は間違いなく重ねている。
どれほど心の拠り所になっているのか、こういうところから考えると胸が痛くなる。

オノラの死

少し飛んでこのシーン。
自分のほうが長命だという運命をここで認識するわけだが、ラングの言葉で復活。
普通の恋愛映画ならこれが転機になって2人が付き合い始めるところ。じゃあなぜそうならなかったのか考えると、恋に関心が無かったから……というのは間違い。冒頭のクリムとレイリアのお忍びシーンを見たときの表情を思い出して欲しい。置いていかれた、という気持ちが如実に表れている。それ以降恋愛について考えていないわけがない。
この頃には5年近くエリアルを育ててきているわけで、同じだけラングたちと暮らしてもいることになる。ラング側からは髪染めのシーン以降意識していたことが伺えるが、逆の描写は一切無い。あくまで友達。
とすると、恋に目が向かないほどエリアルに夢中だったことになる。まだ小さなエリアル。でも、絶対に先に死んでしまう。それがどれほど心に刺さるか。
しかもそれだけじゃない。ラング達も先に死んでしまう。それ自体も悲しく辛いことだが、その結果自分が頼れるような人はいなくなって1人になる。一度故郷を失ったときに感じた絶望を、また味わうことになる。助けてくれたエリアルだって、そのとき再び助けてはくれない。
この絶望の大きさは一言で済ませられるようなものではない。

メザーテ突入~奪還作戦

クリム・マキア周りでいろいろ思うことはあるけれど、およそ見た人なら思うことだろうし省略。
ここで再登場するバロウについて少し考えたい。
初登場のとき、長老のことを名前で呼んでいた。かつここで明かした正体。まぁ関係性は明白よね。
では飄々とした性格の裏で何を思っているのか。父親が先立っている身として、特にエンディングでの会話も含めて考えると、およそラシーヌ同様に人間と関わると辛い目にばかり遭うと考えていると推測される。このシーンで残した「ちったぁマシな人生を」にどんな感情が込められているのか。どうせ辛い別れが待っている、物好きな人生を歩むことを決めた少女に向けた言葉。同情もあれば憐憫もあるだろう。それ以外のところでの自分の人生経験も含まれているのかもしれない。
作戦の終わり、マキアを助けたのはおそらくクリム。大目的を果たす寸前で諦めた、そのときの心境はもはや胸が張り裂けそうとかそんなものではないだろう。その後マキアに対してあんな言葉を向けるくらいだし。でもこのあたりは執着するクリムと別の道を行くマキア、という構図を浮き彫りにしていて、最後の伏線とも言えそう。
レイリア側も、「クリムも来てる」を聞いたときの絶望は計り知れない。2回目に見たときは背筋に寒いものが走った。メドメルの命を取引に出すあたりは、大切なものを諦めたことによる強さを感じられる。あのシーンは子を産んだことのある女性は堪えるのでは。

2人で生きていく

職場探しのシーン。母親の真似事だった、あるいは依然として守られていた状況から一転、今度は自分が全てをやらなければならない。責任がのしかかる。
全てを失ったと思われたあの日以降、それでも自分はまだ甘えていたことを思い知る。改めて自分の気持ちを再確認すると共に、覚悟を決め、一皮剥けた強い親になった。
一方、子供と思っていたエリアルの感情についても考えるようになったという点も大きな成長だ。それまで、エリアルのことを大切に思いつつも子供扱いしていた。しかしここからは1人の人として会話をするようになったように思われる。

酒を飲んだエリアル

また少し飛んでこのシーン。自分のことを無条件に大切にしてくれている、見た目は自分と同年代の少女。恋愛感情を抱かないわけもなく。「傷つける」と言っていたあたり、自分に愛を向けてくれている人に対して自分は劣情を抱いてしまうことへの罪悪感や嫌悪を感じられる。
後の回想で、このときの2人が一緒に出かけながらも寄り添うことは避けている、というものがあった。道の両端に分かれて歩いているやつ。恋に悩む思春期と甘やかされることへの反抗、この2つの対象が同じ人に向いてしまったときどう接すればいいのかなんて悩ましすぎる。

別れ

旅立ちの朝。いってらっしゃいに込められた思い。行ってきますの一言を残し、ずっと一緒にいた人と別れる。どちらも別れたくないと思いながらも、エリアルはこの道を選択し、マキアはそれを許した。幼い頃から守りたいと思っていた相手を未だに守れず足を引っ張っている、その拭いきれない罪悪感がそうさせた。決してこの別れは新しい自分への旅立ちだとか成長だとか、そういう明るい文脈で語られるべきものではない。
大学で上京した身としては親に対して申し訳なくなる場面だった。
このシーンを全体の流れの中で見ると、そのままでいたいと願うマキアと変わっていきたいエリアル、という対立が見られる。このあたりはまた後で。

戦争

イベントが多すぎる。

クリム

まずはクリムについて。いつからか生きる目的がレイリアの奪還のみになり、全てを捧げてきた。その人が自分と違う意見を持ち拒絶されたときの、自分が過去の存在になっていたことを告げられたときの、絶望感、虚無感はどれほどのものか。自分の行動を、生きる目的を否定されたとき、人は自暴自棄にならずにいられるものか。最期の「どうして時を進むんだ」という言葉はこの作品を象徴している。この点は後で。クリムには同情はするが、自分の好意を押し付ける様はいただけない。相手が自分と異なる意見を持つことを否定している。その相手というのがもともと恋仲だった人、言葉に出さずとも意思疎通ができるような間柄だった人というのはただただ辛いが、それでも互いに異なる意見を持つことがある、というのは否定してはならない。と、私は思う。

ディタ

好きだった人と結ばれたにも関わらず、胸の中にはわだかまりが残っている。大昔にやってしまったことへの罪悪感に苛まれるのは辛いもの。そういうのをちゃんと解決しようとするあたり真っ直ぐな人格なことが伺える。殆ど語られていないけれど、再会、同棲、その過程では少しばかりの暗さのある恋愛ストーリーがあったはず。それに思いを馳せるのも楽しいかもしれない。

エリアル

ディタときたらエリアルでしょ。エリアルはこのとき、自分で作った自分の居場所を守る、というのが一番の戦う意欲の源だった。もちろんディタとのこともある。けれど、「自分で作った」というところをよくよく考えてみたい。元々マキアに守られ、連れられる形で暮らしていた。そんな中、一緒にいると迷惑ばかりかけてしまうとの念から自立を決意し、別れを告げた。では、自立とはなんなのか。ただ単に自分の力で生活できるというだけではなく、自分を守ってくれたマキアを今度は自分が守るため、強い自分になるというのが大きいと考えている。子にとって親が偉大なように、エリアルにとってマキアの存在は偉大だ。簡単に守るなどと言えたものではない。では、どれくらい強くなればいいのか。分からない。しかし、この戦いで誰かに守られているようでは、自分が誰かを守れないようでは、絶対に力不足だ。マキアに別れを告げたときのことを思い返し、この困難に立ち向かっていったのではないか。そう考えている。
「行かないでくれ、母さん」という言葉は、「あ~、そりゃそういう展開だよね~」などと軽く考えないで欲しい。マキアを母と呼んだのはいつ以来かといえば、青年期よりも前、軽く10年程度遡ることになるはずだ。青年期に母と呼ぶことを躊躇ってしまった後悔、その結果として意地を張り別れてしまったことへの申し訳無さ、そして今自分は自分の居場所を作り守ることができるほどに強くなったのだから今度は貴女を守らせてくれ、ここで別れてしまったら自分が目指してきたものは失われてしまうという思い。それらに押し潰されそうになりながらの必死の叫びだ。

メドベル

戦いの終わり。下に降りたらこれまでとは違う生活が待っている。幼いながらもそれを知覚し、覚悟していることのなんと辛いことか。それが分かっている以上、父親に見捨てられたことも絶対に分かっている。そこに登場する母親。まずはじめに、こんな人はいたかしら、そう思っただろう。このとき、母親はどんな状態だったか。装飾品も全て脱ぎ捨ててきた。あの精神状態で長い間生きていた以上、顔もやつれ、世話係の施した僅かな化粧が残る程度で、質素なワンピースと相まって、何も知らない人が見たらまるでスラムの住人か、はたまた娼婦かといったみすぼらしい姿だったことだろう。しかしこの母は最後、なんとまぁあんな行動に出るわけだ。なぜあんな行動に出たのか? それはちょっと置いておいて。最後に見せた、力強く命を振り絞る、少女だった頃と同じ元気を、活力をみなぎらせた行動は失意にあったメドベルという少女の目に焼き付いた。決して、「美しい方なのね」という言葉は見た目だけを指したものではない(風になびく金髪はそれはそれは美しいだろうがそれはさておき)。その偶然の一瞬の出会いがこの後メドベルの人生にどんな影響を与えたのか。全く語られずに終わってしまうが、少し考えてみたい。
メザーテは既に陥落した。メドベルは古の血を滅ぼした一族の末裔であると同時に古の血の流れる唯一のメザーテ人でもある。見せしめにされる、というのはまず無いだろう。なんの特徴も継いでいないとはいえ、一部の派閥には神聖視されるだろうからだ。では崇められるかといえばそれも違う。あくまで敗戦国の姫だ。一般民衆となって暮らせるかというと、それも難しいだろう。あれだけ王や王子が人前に出ていた以上、王女もある程度知られているだろうからだ。とすると、マキアが一時期そうだったように、軟禁状態で当分の間は過ごしていたかと思われる。少しばかり、自分の日本人としての保留を好む性質が出ているような気がして嫌な気もしてしまうが。
さて、ここでイゾルのことを思い返そう。軍のトップクラスなのは間違いなく、イオルフの里の襲撃を主導したことが知られているなら、その罪を理由に戦の後で処刑された可能性も低くはない。
まずは処刑されなかった場合を考える。既に王は不在、軍は解体され自由の身。傭兵か何かしらの労働をしていたかもしれない。さて、王宮でのレイリアとのやりとりを思い返すと、命令である以上責任を持って実行したが、実行したのはあくまで自分でありその罪から逃げるつもりはない、という彼のスタンスが読み取れる。その彼がレイリアの去った後誰を気にかけるかといえば、当然メドベルとなる。メドベルを助けるに当たり、連合国側の拠点に忍び込んで攫うドラマチックな展開があったのかもしれない。能力を買われ連合国側に雇われ、メドベルの世話係に任命されたかもしれない。何にせよ、彼は生きている限りイオルフの民とメドベルの存在を忘れることはできないし、彼自身その運命から逃げようともしない。きっとメドベルの力になろうと尽力したことだろう。
では処刑されてしまった場合。彼自身は救われた気持ちにもなっただろう。罪の意識に苛まれたことのある人なら、彼の気持ちも少しは分かるはずだ。裁かれることこそが救いである。しかし、単に自分が裁かれるだけでよいのか。それは本当に罪滅ぼしになるのか。そう考えるだろうことも分かるだろう。繰り返すが、彼は軍のトップクラスだ。ということは、軍の上層部、例えば師団長であるラングにメドベルを託すこともそう不思議ではない。メドベル側からしたらよくわからないことになってしまうし、きっとこっそり攫うなどという展開にはならないだろうが、メドベルが救い出されるというのもそう楽観的な推察ではないだろう。
とはいえラングの実家にそれらしい血族がいなかったことを考えると、前者であってほしいと願うばかりである。

レイリア

さて、重要人物レイリア。失ってしまったクリムの代わりに娘を唯一の救いと見ていた。かつての恋人との再会、本当なら信じられないほど喜ばしいシーンだ。しかし、クリムは変わっていた。優しかったクリムの姿はそこになく、ただ復讐と「レイリアを取り戻す」ということに執着した鬼の姿があった。あるいは変わっていなかった。時間の流れの中で自分の思いが娘に向いていく一方、クリムはそれを受け入れず共にあった頃の過去の幻影に囚われていた。

全体の流れとして

エリアルの一生を通して、母親とはなんなのか、親が子に何を思うのか、人々の営みがどのように続いていくのかを見ることができる。きっと、親になってから見るとまた違った視点から感じるものもあるのだろう。
個人的には普段ノベルゲームもある程度やるため、1シーンごとにぽんぽん話が進んでいってしまうのが少し寂しい。どうでもいい日常風景のシーンはそりゃ映画だと時間の都合であまり描けないのも分かるけれど。

長い!

実は3月に書いたこれ、なんでか3ヶ月も寝かせてしまった。
何故かと言えば、毒を感じたからだ。なんとなく読み返したとき、自分の中の毒を無意味に吐いていた。映画の感想に無関係な自分のしょうもない感覚を吐露するのは映画に失礼だし、そこを直さねばと思ったからだ。
とそんなことをしているうちに機会を失ってしまった。
リズの方の感想を書ききったのに合わせてもうえいやと公開してしまえ、という次第である。
で、今見たら6000字。こんなの誰が読むというのか。
いつかの未来の自分も読まなさそうだ。
それでも、確かに感じた思いを残すべく、ここに記す。
本当は誰かに映画を薦めるつもりで書こうと思っていたのにな。全然違う感じになってしまった。

ともかく。この作品がBlu-rayになった暁にはまた見直したい。この作品の思いを、あの物語を、あの世界をまた感じたい。
本当にいい作品に出会えたと、感謝するばかりだ。